飯田荘・飯田城等年表                平成二十四年五月二十三日作成 森町教育委員会 記
                                 『森町史』資料編二.五.上巻抜粋』 
時代 年 号 西 暦       記         事
平安末期 永保 3年 1083 遠江国司藤原惟信、清原則房を小國社の宮司に補任。
寛治 元年 1087 白河上皇御宇、西楽寺を六条右大臣藤原顕房が再興する。
承徳 元年 1097 遠江国小國社神宮寺別当が従五位下に栄爵する。
大治 元年 1126 岩室寺に如法経が埋納され、遠江目代が願主となる。
保元 元年 1156 保元の乱。
平治 元年 1159 平治の乱
仁安 2年 1167 平清盛、太政大臣となる。
仁安 3年 1168 小國社の背後に如法経が埋納される。
治承 4年 1180 源頼朝、伊豆で挙兵。
文治 元年 1185 藤原直行の発願で般若波羅蜜多経が書写され、蓮花寺・法多山の僧らが書写。
鎌倉 建久 3年 1192 鎌倉幕府始まり、源頼朝が征夷大将軍となる。
元久 2年 1205 禅勝坊(蓮華寺72世)宮代に直心寺を開いて参籠する。
承久 3年 1221 承久の乱
安貞 元年 1227 道元禅師、帰朝して曹洞宗を伝える。
寛喜 年中 1229 寛喜の飢饉
貞永 元年 1232 御成敗式目制定
文暦 2年 1235 藤原家貞など、遠江国鎮守小國一宮に起請文を立てる。
文永 2年 1265 遠江国三代御起請地三社注文に、飯田荘・山名荘が見える。飯田荘は蓮華王院領。
弘安 4年 1281 山内首藤通茂に、父是通の所領が伝領され、遠江国飯田荘上郷内筥島・西俣・加保村などの地頭職が安堵される。
弘安 6年 1283 室町院暉子内親王などの三十五日曼荼羅供養の用途を飯田荘などが負担する。
嘉暦 2年 1327 田荘内の田地について、山内孫太郎入道道光と山内刑部阿者梨道俊が相論し、その真偽究明に内田荘(菊川)の内田致景があたる。田地名に「飯田荘下郷内打越田六段、飯田里・楠木・茅原里坪々田八段一杖」とあり、これらの田地は道光が惣郷内を管領しているのに、道俊が横領したと。
元弘 3年 1333 鎌倉幕府滅亡
南北朝 建武 元年 1334 建武の中興
建武 2年 1335 山内首藤通継、飯田荘内加保村地頭職を通知に譲る。
建武 3年 1336 山内首藤通継、遠江見付府中において参陣、軍功上申。
建武 4年 1337 山内首藤通継、遠江見付府中において軍功が認められる。
正平 6年 1351 洞院公賢、飯田荘などを後伏見上皇に安堵した後醍醐天皇綸旨を書き留める。
永和 3年 1377 飯田の観音寺が、本寺法勝寺再興のため毎年二貫文を拠出することを定められる。
明徳 元年 1390 東寺最勝光院方、飯田観音寺少納言坊を原田荘細谷郷所務代官に補任。
明徳 3年 1392 如仲禅師、飯田院内に草庵を結ぶという。
室町 応永 元年 1394 能登総持寺金龍玉光、飯田荘戸和田行観寺を中興して宗侍寺(宗源寺)とするという。
応永 8年 1401 山内道美、崇信寺に寺領を寄進して如仲禅師を仰ぐ。
応永 3年 1396 一宮・飯田などの熊野新宮旦那職を配分する。
応永12年 1405 如仲、近江に洞寿院を開く。
応永14年 1407 中田郷の雲林寺を如仲の弟子不琢が開く。
応永18年 1411 橘の大洞院が如仲によって開かれる。
永享 2年 1430 如仲、越前龍沢寺に入院。
永享 9年 1437 如仲禅師、遺命を記す。
永享12年 1440 如仲禅師没する。
長禄 元年 1457 崇信寺において、道美子息山内久通が三十三回忌を修する。
応仁 元年 1467 応仁の乱(文明9年終結))
文明13年 1481 原田荘円通寺松堂和尚、戸和田郷藤原通種の詠の和す。
明応 3年 1494 小田原の北条早雲、遠州三郡に乱入(周智・山名・豊田)。
明応 7年 1498 明応大地震・大風洪水。
文亀 元年 1501 天方城に立て籠もった斯波軍を今川方が攻める。
永正 3年 1506 今川軍、西三河侵攻。遠江衆に天方・森衆あり。
永正 7年 1510 本間宗季、天方本城に立て籠もった摘を討ち取る。
永正 年間 祇園の舞い物をういろうが京都から伝えるという。
大永 4年 1524 天方道芬上洛。
天文14年 1545 飯田城主、山内通泰、崇信寺に寺領安堵。
弘治 3年 1557 今川義元、森蓮華寺に飯田荘内の田地を安堵。
永禄 3年 1560 織田信長、桶狭間で今川義元を破る。
永禄 6年 1563 松平元康、今川氏と絶交、家康と名乗る。
永禄 7年 1564 遠州忩劇、家康遠州を攻める。
永禄 8年 1565 今川氏真、崇信寺へ寺領を安堵。禁制を掲げる。
永禄11年 1568 家康、鵜殿氏の恩賞の地として飯田を認める。
永禄12年 1568 六月、天方・飯田両城を家康は攻め、天方通興は降参、山内通泰は戦死。子息伊織は、梅村彦兵衛に連れられ三河へ落ち延びる。
元亀 3年 1572 武田信玄、遠州に入り、只来・飯田城を攻略
天正 2年 1574 家康、天野攻め。