「飯田城保存会」の発足経緯と展望

 今年の春先、森町教育委員会のK氏より「荒廃農地を栗園に改植する方々が城の周辺まで開発を計画しようとしているが、地元では城周辺の整備等はされる予定ありますか」との連絡が。早速有力者達にその旨伝えると前向きなご意見が多数あり、その後数回に亘りK氏による飯田城の歴史を聴聞する機会を得ました。私を含めご参加者の多くが「知らない事が多く改めて飯田の歴史の重みを感じた」等大いに感動を受けた次第です。

特に石碑に刻まれた「飯田青年会」、実は古くから毎年夏に城周辺の整備活動をやってくれていたのが中飯田青年会です。石碑は大きく立派だがどうやってここまで運んでこれたのか、そこには多くの村の先達の名前が刻まれていた。更には私の認識不足ですが、昭和53年4月に「森町指定史蹟に指定する」と指定書に私の父親が署名している事も確認。また先日青年会幹部N氏「飯田小学校校歌の4番に出てますよ、飯田城の事」。早速調べると「松風ひびく城あとに しのぶもゆかし 代々のあと 御親の恵み 身にしめて 親しみかわし いざ行かん」とあった。その後「保存会」として会員の募集を開始したところあっという間に約100名の方々のご賛同を頂戴しました。数ヶ月の啓蒙活動を通じ、飯田城は崇信寺と同じ600年前からの歴史、それを守り伝える住民の強い思い入れを感じた事、校歌にある先祖を敬い親を大切に思う心を子孫に伝え残して行ける事。以上の理由から重責な大役で誠に光栄な事と、未熟ながら引き受けさせて頂きました。幸いにも諸役員の方々は多才な職歴、技能、人脈を兼ね備えた方々でありこれ以上の布陣はないと存じております。
 さて、飯田城の歴史は古城があった現崇信寺と新城である今の城跡両方を合体として捉えてその間の道路の拡幅整備をしたい。地元の現町会議員S氏を中心に開拓して下さった下飯田へ抜ける道路も更に整備したい。主郭部周辺の間伐をし、季節ごとに咲く広葉樹等(山桜、紅葉など)の植樹や湧水を利用した菖蒲なども植えてみたらどうでしょうか。城跡には現存ものよりさらに詳しい歴史を綴り、当時を想像できる城の模型なども考えてみたらどうでしょうか?わかりやすい道標や立て看板などや太田川、田園地帯を望むロケーションの良さを展望台設置で、また崇信寺には飯田城の資料館があればいいでしょうね。以上のプランにつきましては、勿論土地所有者等のご理解を頂ければのことであります。飯田城址は新東名から約4キロの位置、森町SAには2年後スマートインターができるそうですが、その時までに東名と新東名との交通量の比率は3:7との予想らしい。さらに21世紀は精神文明の夜明けとも言われ、多くの方々が心の拠り所を求め、飯田城址へ想像以上のご来訪者がお見えになるでしょうね。会員の皆様のご協力をいただければ2年後までに相当程度まで実現できるものと思います。その為にも今後より建設的なアイデアなりご意見等を頂けます様心よりお待ちしております。よろしくお願い申し上げます。最後に誰一人として怪我のないよう活動を進めてゆく事を最優先にしたいと考えております。
2012年6月吉日 
                         飯田城保存会 会長  鈴木 廣一郎